ニーチェ:本来の自分になれ――そして、あなたの遺産を管理するのは誰か?
フリードリヒ・ニーチェは、哲学史上もっともラディカルな問いのひとつを投げかけました。そして彼自身の運命は、私たちが遺すものがいかに傷つきやすいかを物語っています。哲学シリーズ第3回です。
永劫回帰
『悦ばしき知識』(1882年)のなかで、ニーチェは、ある夜あなたのもとにやって来るデーモンについて語っています。デーモンはこう告げます。おまえが今生きているこの人生を、おまえはもう一度、さらに数えきれないほど何度も生きなければならない。あらゆる苦しみも、あらゆる喜びも、あらゆる思いも、同じ順序でふたたびめぐってくる、と。
あなたはデーモンを呪うでしょうか? それとも、これほど神々しいことは聞いたことがない、と答えるでしょうか?
この問いは試金石です。この人生をもう一度望めるように生きよ。その背後にある姿勢を、ニーチェは「amor fati(アモール・ファティ)」、すなわち自分の運命を愛することと呼びました。
いかにして人は本来の自分になるか
1888年、精神が崩壊する直前に、ニーチェは『この人を見よ』を書きました。「いかにして人は本来の自分になるか」という副題をもつ、一種の自画像です。彼は、自分の時代はまだ来ていないと確信していました。ある者は死後に生まれるのだ、と彼は書いています。
その後に起きたこと
1889年のはじめ、ニーチェは倒れました。1900年に亡くなるまで、二度と仕事をすることはできませんでした。妹のエリーザベト・フェルスター=ニーチェが、兄の遺産の管理権を握ります。彼女はニーチェ・アルヒーフを設立し、兄の遺した覚え書きから『権力への意志』という本を編み、兄を国家主義的で反ユダヤ主義的な人物として広めました――兄自身は反ユダヤ主義をはっきりと退けていたにもかかわらず。のちに彼女は、ナチスに接近していきました。
1967年から刊行されたジョルジョ・コリとマッツィーノ・モンティナーリによる批判校訂版によって、ようやくニーチェのテキストは、彼が書いたとおりの形でふたたび読めるようになりました。
論理的な帰結
ニーチェは私たちに、二つの教訓を残しています。
一つ目: 「イエス」と言えるように生きること。そのためには、自分が本当は何を望んでいるのかを知らなければなりません。定期的に、正直に振り返ること。それがそこへ至る道です。
二つ目: 自分の遺産を、偶然や、たまたまアクセスできる人に委ねないこと。自分が考えていることを、自分の言葉で記録しておくこと。そして、誰がいつそれを読んでよいのかを、自分で決めること。そうしなければ、ほかの誰かがあなたの物語を語ることになります――もしかすると、あなた自身なら決して語らなかったような物語を。
さらに考えるための3つの問い
- 今の人生を、そっくりそのままもう一度生きたいと思いますか?
- あなたのどんなところが、よく人に誤解されますか?
- 自分の記録を誰に託しますか? そして、絶対に託したくないのは誰ですか?