ストア哲学:日々の実践としてのメメント・モリ
「自分がいつか死ぬ存在であることを忘れるな」。ストア派にとって、これは陰鬱な警告ではなく、よりよく生きるための道具でした。哲学シリーズ第2回です。
日常のための哲学
ストア派は紀元前300年ごろ、アテナイで生まれました。創始者であるキティオンのゼノンは、彩色された柱廊「ストア・ポイキレ」で教えており、学派の名はこれに由来します。最もよく知られたストア派の哲学者は、ローマの人々です。哲学者であり政治家でもあったセネカ、奴隷として生まれたエピクテトス、そして皇帝マルクス・アウレリウスです。
彼らが重んじたのは、理論よりも実践でした。どうすれば、よく、穏やかに、正しく生きられるのか。
私たちしだいのこと
エピクテトスは『提要』の冒頭で、今も何百万もの人を助けている区別を示しています。私たちしだいのものがあります。判断、意図、行動です。そうでないものもあります。身体、財産、評判です。
これを「私たちの何が残るのか」という問いに当てはめてみると、話は面白くなってきます。自分がどう記憶されるかは、自分しだいではありません。けれども、何を考え、何をし、何を書き留めるかは、自分しだいです。
夜の振り返り
セネカは、哲学者セクスティウスから受け継いだ習慣について書いています。毎晩、家の中が静まりかえると、彼はその日一日を点検しました。今日はどんな悪癖を治したか。どんな過ちに抗ったか。どんな点でよくなったか。
マルクス・アウレリウスの『自省録』も、自分自身に宛てて書かれた、まさにこうした覚え書きにほかなりません。こう言ってもいいでしょう。ストア派の人々は、日記を書く人たちだったのです。
メメント・モリ
死を思うことは、こうした修練の背景にありました。時間には限りがあると心に留めている人は、先延ばしが減り、些細なことで言い争うことも少なくなり、言うべきことを口にしやすくなります。
論理的な帰結
ストア派の考える遺産とは、評判ではなく人格です。そして人格は、日々の実践によって築かれます。夜の振り返りは、何が残るのかという問いに対するストア派の答えです。それは毎日、あなたを少しずつ、なりたい自分へと近づけてくれます。そしてその過程で、意識して生きた人生の記録ができあがります。それこそが、自分がどう記憶されるかのなかで、本当に自分しだいである唯一の部分なのです。
さらに考えるための3つの問い
- 今日、どんな点で少しよくなりましたか?
- 自分しだいではないのに、腹を立てていることは何ですか?
- 毎朝、自分がいつか死ぬことを思い出すとしたら、何を変えるでしょうか?